こんばんは、三日月です。
子供のころ「だって」と言うと母に叱られてました。
私の言い分も聞いて!って思うそばから出てくる「だって」「でも」「だけど」。
私は間違ってないと思うから出てくるその言葉のせいで、お説教が延々伸びていくことを何度経験しても理解できなかったアホの子の私。
言い訳って自分の主張を無理やり通したいだけのただの我儘なのかも。
社会人になってからの言い訳
聞いてられないですよね、当事者になっても第3者としても。
さっさと謝ればさっさと終わるのに。早く認めれば早く解決策に移行できるのに。
どうやっても自分が間違ってなくて、なのにその非を認めろというのはあまりにも理不尽だから、戦ったらいいと思う。それに、そこまで行ったらもう濡れ衣、冤罪。
私が知ってる方の中には、明らかに自分に非があるのに何故か自分を守るための言い訳をする人がいらっしゃいます笑。
時間を割いてその言い訳を聞いても、イマイチよくわかんない話&一切同意できない話だったり。
ごめんの一言で命までは取られないw
事の大小はあるにしても、こんなにもいろんなことが守られた日本では。
むしろ、話が早く次のステップに移行するからさっさと認める方が建設的だと思うんですよ、仕事にしてもプライベートにしても。
次のステップって大抵解決策で、延々嫌味言ったりするわけじゃない。今そんなことやったら職場であればパワハラで大問題だし、プライベートでも友達いなくなるし汗。
だから、「早く話を終わらせて自分のことやりたい。お互いに」って思うのは私だけじゃないはず。たぶん。
言い訳する人は同じこと繰り返す?
これは私が今まで感じたことなので、人によっては違う感想や意見があるかもなのですが、結構こんな感じ。
何度も同じ間違いをする。
何度も同じ言い訳をする。
何度も同じことを言わせる。
何度も同じことを言われていても、実は何も聞いてない笑。
これまでこういう方々を目の当たりにして、私はこうなっちゃダメだとようやく学んだのでした。
そもそも普通に生活してて、ごめん!で許されない罪とかほとんどないですし。
多少誰かに迷惑はかけても、親兄弟の命奪ったり強盗したりした後の「ごめん」じゃないから笑。
サクッと認めてくれた方が信用する
延々言い逃れに時間費やしたとしても事実は変わらないのだから。
だったら足掻かないで正直にきちんと受け入れた方が、よくよく考えてみると人として信用できてたり。
個人的に、普段自分の非を素直に認められる人なら、その人が非を認めない時って、その人には非がないと私は感じる。
例えばミスなんかを伝えて、普段から「わ!ごめん!!すぐ直すね」って返してくる人が
「?それ私じゃないよ」って返してきたら、その言葉を普通に受け入れるもん。
周囲との関係を障害なくこなしたい
なので。
自分が何かしでかしたら若干の可能性の段階でも、とりあえずすぐ謝る。
謎のヒートアップも避けられるし笑。
わざわざ指摘をしてくれる人も、指摘するまでに裏付けとったり指摘してくれるために時間割いたり、この時点でかなり迷惑かけてる。
相手の時間をここまでの間にかなり奪っていると考えたら、言い訳なんてできるはずもなく。
それでも自己保身のための言い訳をする人は、やっぱちょっと自分勝手だよな、と思いつつ、私もこんなこと思うなんて、年取ったな~~~なんて感じるの秋の夜長笑。
☆ここまで読んでくださり、どうもありがとうございました☆